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ブランドストーリー

THE軽井沢ビール。会長・和田泰治が抱き続けた本格プレミアムビールへの夢と、軽井沢を愛する気持ちの融合により誕生。

企業設立の理念

1994年、酒税法が規制緩和により改正、ビール製造認可が年間200万L製造から一気に
6万Lまで引き下げられ、全国で350社を超える地ビールメーカーが誕生した。永年ビール造りを夢見ていた和田だったが、当時は自身が創業した製菓向け洋酒の製造と輸入を手掛けるドーバー洋酒貿易㈱に全精力を傾けており、参入は叶わなかった。地ビールの多くは町おこし目的や技術者不足により、品質よりもお国自慢や個性を売り物に人気追求だけの地ビールが続いた。品質が不安定な地ビールが多い中、万人が賞賛する本格派のビールをTHE軽井沢ビールで達成したいと夢見た。

地ビールの歴史も約20年が経過。本業の不動のテーマ「おいしさを求めて」、品質第一の理念を変えることなく、味の評価だけで生存が決するビールへの挑戦を決意。2013年6月に日本最後の地ビール・軽井沢ブルワリー㈱を設立し「THE軽井沢ビール」のブランドで旗上げをした。ビール造りに最適な、浅間山の冷涼な伏流水に恵まれた日本有数の避暑地、軽井沢。愛してやまないこの名勝地にふさわしいビールを造ることが、和田の夢となった。

七人の侍

軽井沢ブルワリーは地ビールメーカーとして最後のスタートであり、製造量は大手ビール基準である規制緩和前の200万Lに地ビールで初の挑戦。地ビールは装置設備が命運を決するため、最新規模の工場を建設、更に最高の原材料にこだわった。決して大量市場は目指さず、醸造ブルワーが納得するスーパープレミアムビールを世に問う事を誓う。スタッフは、大手ビールの経験者をヘッドハンティングせず役員の紹介により招集。アサヒビールの元工場長を専務に招き、サントリービールの開発者とキリンの元ブルワー3名が参加、プロパー社員はドーバー酒造㈱より農学博士を含む国立大修士課程卒4名の精鋭が加わり「七人の侍」として地ビールでは例のない強固な人材での出陣となった。 工場

一般のビールとの違い

大手のビールメーカーは、コンピューター制御により目にも止まらぬ速さで製造される装置産業の代表で、正確無比な工業製品のような側面をも持っている。一方、従来の地ビールは手造りを特長とし、不十分な設備や技術者不足の問題と、規制緩和による短期速成の起業でビールと呼ぶには程遠いものもあった。特に衛生面は論外と言えるものが散見された。そんな中、和田の夢は大手に遜色の無い最新設備を備え、衛生第一の工場から最良のビールが生まれるという原則理念と、クラフトマンシップ溢れるプレミアム地ビールを送り出すことであった。この思いはやがて、創業2年目にして地ビールでは初の食品衛生監視票100点満点の評価を佐久市保健所から受けることにも繋がった。2016年にも再度の食品衛生監視票で100点満点に合格。2014年には、長野県の優れたブランドに贈られる「信州ブランドアワード 個別ブランド部門賞」を受賞。他薦による受賞で「信州特選品認定」を受けたことは、地ビールにとって最高の称号と栄誉であり、感慨深い認定であった。

名画のラベル

本格プレミアムビールを目指す和田に運命的な出会いが訪れる。軽井沢千住博美術館での千住博画伯の名画との出会いである。やがて千住博画伯の名画による初の製品化が実現。世界で唯一の品格と芸術性のあるビールが誕生することとなった。特に千住博画伯が描くメルヘンの世界、文字のない絵本『星のふる夜に』は小鹿の一夜の冒険を描いた家族愛の物語。千住博画伯の絵本を小さなしおりにして全てのギフトにセットされ、今までにない全く新しいビールギフトは一家団欒のひとときへと願いを込めた。更に2016年、思いがけない朗報が届く。資本提携のないアサヒビール㈱からの要請による、全国百貨店での『アサヒスーパードライ・THE軽井沢ビール』のお中元セットの協業販売であった(販売元:アサヒビール㈱)。好評により同年歳暮も全国スーパーに販路を拡大する要請を受け、2017年9月には一層の設備増強・良品計画に入る。アサヒスーパードライの信頼と信用を失墜することなく、納得のビールを送り出すことを強い信念とし、軽井沢という地名を広く発信することが製品への責任となった。

これからも、千住博画伯の芸術と名誉に応え、最高品質を守り続けることをTHE軽井沢ビールの誓いと決意する。美しい味の芸術のビールとして、売り込むことより受け入れてもらうこと、愛飲家からの旨いという評価を喜びとし、永く愛されることが、THE軽井沢ビールの原点であると和田は考えている。